9月10日、クールジャパンパークシアター大阪TTホールで至高の華〜つぼみからはなへ〜第二夜 師弟饗宴が行われました。
最初に若柳流ご宗家 吉藏先生とご子息亮太さんによる『三番叟』、続いて、狂言の茂山逸平さんが、ご尊父茂山七五三さん、ご子息茂山慶和さんと共に三世代共演『居杭』をお勤めになり、次に梅若実玄祥師、井上流 京舞井上安寿子さんと宗家との『二人静』、そして最後に雙生隅田川では、玄祥師の他、歌舞伎界からは尾上右近さん、中村梅丸さん、春風弥里さんを初めとするタカラヅカご出身の皆さま、そして大詰めには吉藏先生にもご助演いただき、宗家子息、雄大も出演致しました。
2016年の第一回目至高の華に続き、今回も、実父梅若実師と共に舞台にたち、また長男雄大も同じ舞台に立つことが叶い、宗家の思いはひとしおだったように感じました。
また、それぞれの舞台稽古から、親子でありながら師弟関係を持ち芸道を志す同士が、師として、弟子へ伝えたいことは何か、また弟子として師から受け継ぎたいものは何か、と舞台上で問いかけ合い、本番では全身全霊でその答えを模索しているようでしたが、ご観劇頂いたお客さまは、どのように感じていただけたのだろうか、と思います。
今回のレポートでは、宗家が出演した『二人静』と『雙生隅田川』のうち、今回は、雙生隅田川に特筆したいと思います。『二人静』は、昨年2018年の秋に大阪の大槻能楽堂で上演した際に、宗家と安寿子さんのインタビューがあり、お二人が初演されるにあたり色々な思いを語ってくださいましたので、そちらを近日に掲載させていただければと思います。
雙生隅田川は、2017年の高松公演、2018年の横浜KAAT公演に続く3度目の上演となり、3回とも出演者も演出も変えて上演されました。
初回の高松公演では、梅若丸も松若丸も失い狂女となった班女御前が、我が子と対面する隅田川の場面を重点的にたっぷりと魅せ、翌年のKAAT公演では、発端から大詰めまでを若手歌舞伎役者が力一杯に演じ、雙生隅田川の全容を分かりやすく演出しており、今回は梅若実師の出演、そしてタカラヅカご出身の皆さまにご出演を頂くことから、七郎天狗の助けによって再会できた松若丸と班女御前の対面から仇相手である百連の立ち回りなどには歌舞伎の演出(宗家念願だった演出)をふんだんに取り入れ、尾上右近さんの熱演も加わり、より華やかなものに変わりました。
その他に、惣太の場面までの前半部分のあらすじは、宗家、花柳まり草さん演じる男女の読売で面白くきかせ、また、今回の最大の見せ場である惣太の場面では、中村梅丸さんとの共演に、惣太演じる宗家のセリフにどんどん熱が入り、一手一手が義太夫の糸に乗り、熱量のあるあらすじの展開は、見応えがあったように感じました。今回初役で梅若丸を演じた雄大は、80分の芝居に最初から最後まで出演することが一番難関だったように思いますが、周囲の方々に助けられ、宗家の演技に触発され(!)、梅若丸、そして松若丸を力一杯に演じていました。
雙生隅田川という作品は、近松門左衛門が人形浄瑠璃として書き下ろし、初演は1720年大阪竹本座とされています。能の隅田川にお家騒動を加え、物語をよりドラマチックに描いています。近松作品の台詞は、元々がほとんど浄瑠璃用に作られられたこともあり、言葉の運びが非常に巧みで印象的でありながら、旋律を奏でているように心地よく流れていきます。
惣太の壮絶な最期を迎える場面の中で、惣太が武国に懺悔をする台詞の一つをご紹介しますと、
「(中略)魂に思い定めても商い知らず、耕作知らず、いつしか入り込む悪道の、人買いとなって稼ぎしが、女房には貧苦と言い立て 鶉衣(うずらごろも)を身に纏い粗食(そしょく)すすって溜めたるこの金」
自分が使い込んでしまった主君の家の金を、どうにかして取り戻そうとしたのだ、という惣太の心情を表現する言葉の使い方が見事で、またセリフとしても非常に耳馴染みがいいところも、近松作品の見所の一つであるように思います。
宗家の手がける作品は、同じ作品でも演じる劇場、配役によって演出を変えているので同じ演目でも、異なった作品としてより深く楽しむことができます。
また舞踊化するにあたり、作品の面白い部分を生かし、脚本し直すことによって通常のお芝居では長く感じられる部分も、わかりやすく、またあらすじの展開がテンポよく進んでいくのですが、今回も宗家曰く「面白いと思われる部分だけを抜き取った」とのことでしたが、通常の歌舞伎のお芝居では、1時間ほどあると言われいる惣太の場面でも、40分ほどに短縮し舞踊劇として飽きさせないような工夫がなされています。
宗家が精力的に取り組んでいる歌舞伎の作品を舞踊化するそもそもの取り組みは、七世(現二世勘祖)の代から始まりました。
六世が歌舞伎界の為に作り出した作品を、七世が舞踊化することによって、舞踊そのものの面白さを浮き彫りにしたのではないかと思います。現宗家は、その試みをより深く追求しており、雙生隅田川もまた何度も試行を繰り返しながらの上演ですが、これまでにも四の切(2012年藤間会)、四谷怪談(2014年明治座初演)など、数々の作品を舞踊化し上演しています。
100年、200年と残っていた作品は、作品そのものが素晴らしく生命力があることはもちろんですが、その時代ごとの作り手の工夫が、作品を生かすのだということ感じる公演となりました。