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宗家藤間流について
宗家藤間流は始祖・藤間勘兵衛が、弟の藤間勘左衛門とともに、故郷の武州入間郡川越領藤間村から江戸に来た宝永元年(1704年)を区切りとし、今日まで300年以上の歴史が息づく伝統ある日本舞踊の流派です。
初代勘兵衛は志賀山流・初世中村伝次郎より舞所作を修め、初代西川仙蔵の推挙により芝居の振付師となり、自分の故郷である藤間村(現・埼玉県川越市藤間)の地名を冠して藤間勘兵衛と名乗る。振付の名手といわれた初代勘兵衛実子の二代勘兵衛は実娘“みよ”の婿に三代目を継がせ、三代勘兵衛は舞踊の天才児といわれ藤間の黄金期を作る。その後家庭不和により養家を出た三代勘兵衛は藤間勘十郎と名乗るが、やがて復家し勘兵衛の名に戻る。この三代勘兵衛は名振付師ともいわれ、近世における日本舞踊の分派発展の過程は三代勘兵衛を基幹として展開されたといっても過言ではない。三代勘兵衛没後、四代目より踊りの師匠を専業として女性系統によって相続されるが、九代勘兵衛が勘十郎家に名前を返上しその後伝承保存される。
藤間勘十郎について
藤間勘十郎の名は三代勘兵衛が一時名乗った事に始まるが、当家では三代勘兵衛の養子の大助を初世としており、二世から五世まで踊りの指南を中心に女性によって継承される。世情の移り変わりにより劇場振付が復活すると、六世勘十郎は昭和の日本舞踊界を代表する名振付師として人間国宝指定・文化勲章を受ける。現在は三世勘祖(七世勘十郎)・八世勘十郎がともに日本舞踊の伝承ならびに、歌舞伎舞踊の振付指南等に活躍している。