六世藤間勘十郎
本名:藤間秀雄
生まれは、洲崎。祖父保住亀吉の芝居好きが高じて、よく芝居を見に連れていかれていた。縁があって6代目尾上梅幸に弟子入りをさせもらい、尾上梅雄と名乗る。
その後、明治41年、6歳の時に歌舞伎座で安徳天皇で初舞台を踏み、め組の喧嘩の辰五郎の子又八、先代萩の千松等を演じ、七代目松本幸四郎、七代目市川団蔵ら、その当時の様々な名優らの芝居を間近で見聞きする。
大正4年5世勘十郎に16歳で養子となる。6代目尾上菊五郎の勧めもあり歌舞伎振付師の道へとすすむことになる。
役者の癖をよく取り込んだ振りの付け方と、対応力の高さから歌舞伎界の役者に支持され、現代の歌舞伎の演出や歌舞伎舞踊の礎を築いた。また、歌舞伎俳優のみならず、昭和の名優、長谷川一夫、大川橋蔵ら多くの俳優、著名人が6世の元で稽古をしていた。
襲名:藤間勘十郎
二世藤間勘祖
1955年(昭和30年)毎日演劇賞受賞。
1957年(昭和32年)紫綬褒章受章。
1955年(昭和30年)毎日演劇賞受賞。
1960年(昭和35年)重要無形文化財保持者に各個認定(人間国宝)
1962年(昭和37年)毎日芸術賞受賞。
1963年(昭和38年)日本芸術院賞受賞。
1967年(昭和42年)日本芸術院会員。
1971年(昭和46年)勲三等瑞宝章受章。
1979年(昭和54年)文化功労者
1982年(昭和57年)文化勲章を受章。