市川會、第ニ回蔦之会レポート
八月も早くも終わりを迎えます。
先日は九州地方で記録的な大雨が観測されましたが皆さまお変わりありませんか?
残暑もまだまだ厳しいようですので、くれぐれもご自愛ください。
さて、ご宗家が携わった八月の仕事の中で、市川會、蔦之会に同行をした当流派会員の藤間勘紗美さんよりレポートが届きました。
初めての同行で緊張したようですが、ご宗家の仕事の様子や会の内容がよく伝わってくるレポートです。
ご一読ください。
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はじめまして。
宗家藤間会実行委員の勘紗美と申します。
この度はご宗家のお付きとして、市川會と第二回蔦之会のお仕事に同行させて頂きまして、お稽古や会の様子をお話しさせていただきます。
初めてのお付きとしてのお仕事、目の前のことに取り組み、必死についていくだけでしたが、ご宗家からこの様な機会を頂きましたこと、この場をお借りして御礼申し上げます。
【市川會】
市川會三代襲名披露公演が、令和元年8月3日から12日まで東京・Bunkamura シアターコクーンで行われました。
ご宗家は8月8日から12日の5日間、市川翠扇さんの京鹿子娘道成寺に、強力役で尾上流家元の尾上菊之丞先生と特別出演されました。
通常の娘道成寺には大勢の所化が出てきますが、今回の上演ではその所化の代わりに強力二人が出演する演出でした。(その演出は、2001年10月に御園座で京鹿子娘道成寺が上演されたものが基になっているそうで、ご宗家と勘祖先生が工夫された演出だそうです。)
ご宗家と菊之丞先生は趣向の華をはじめ様々な公演で、ご一緒されていますから、お二人の掛け合いはとても息があっていて、演出も舞台ごとにお客様の反応をお話され、細かく打ち合わせされておられました。
花道がないので、出は客席通路からでしたが、お客様の反応がダイレクトに伝わってくると、ご宗家がおっしゃっておられました。
私はと申しますと…
初仕事が、他流派の襲名披露で、ご宗家が踊られると言う今まで感じたことのない雰囲気の中でしたので、ご宗家について舞台袖におりますと、とても緊張してしまいました。お扇子や数珠をお渡しする際に、汗がつかない様に細心の注意をするため、手拭いを握りしめていました。それでも最初の日は手が震えてしまい、それを抑えることで精一杯でした。
いざ舞台へという時に、ご宗家にスイッチが入る瞬間を間近で感じ、本当に貴重な体験をさせて頂きました。
また、公演の間雄大坊ちゃんも黒子のお姿で、ご宗家について楽屋や舞台袖におられました。
ご出演されているぼたんさんや勸玄君とお話もされており、未来の日本舞踊界や歌舞伎を担うお子様方は、こうして交流をしていくのだなぁと感じながらお姿を拝見しておりました。
公演中は東京のお稽古日でしたので、松濤でお稽古をされてからの楽屋入り、公演後はまた松濤でお稽古と休む時間もないハードなものでした。10日は一日に昼夜二公演で、公演の合間に石橋の打ち合わせが入り、その場で居所の打ち合わせはもちろん、確認のためにご宗家が実際に踊られて作り上げておられました。
【第二回蔦之会】
令和元年8月15日日本橋劇場にて、市川蔦之助さんの自主公演が行われました。
昨年ご自身初の自主公演を開催され、今年第二回の開催でした。
13日のお稽古と15日の昼の部の公演を拝見しました。
公演の二演目とも、六世宗家の振付と言うことで、全く違う二演目の踊りをお稽古から拝見させて頂けたことは、とても良い経験となり、たくさんお勉強させて頂きました。
・吉原雀
1768年(明和5年)江戸・市村座で初演。
本名題「教草吉原雀」作 桜田治助。
作曲 初世 富士田吉次・初世 杵屋作十郎。
男女ふたりの鳥売りが、当時繁栄を極めた遊郭・吉原の情緒・風俗を踊りで描き出す、明るく華やかな所作事(歌舞伎舞踊)
今回は素踊りで中村蔦之助さんと、中村梅丸さんが踊られました。
お稽古の折には「吉原のくどき」や最後の手踊りの華やかさなどを踊りわけられ、お二人のパワーが化学反応を起こして出来上がる雰囲気を感じました。ご宗家は地方さんと間や速さなどを細かく打ち合わせされておられました。
ご宗家はいつも宗家藤間流にとって素踊りは特別で大切なものとお話されていますから、公演での素踊りの難しさ、素踊りとしての魅せ方を自分なりに分析しながら拝見させて頂きました。
なんと言っても印象的だったことは、公演初日の舞台稽古の前、ご宗家が道具調べをなさる際に、鳥かごから放たれた雀をご宗家が飛ばすと、本当に雀が飛んでいるようで美しい動きでした。一瞬で飛んでいってしまうのに、凄く頭に残り、小道具の動きひとつで作品の意味を表し、舞台の完成度が上がることを実感させて頂きました。
また、公演終了後は梅丸さんと衣装の色のお話をされていました。観に来てくださる方が楽しめるようにと、他の公演の衣装の色とのバランスまでもお考えなのだと知りました。
・博奕十王
三代目 市川猿之助(現・猿翁)作
1970年(昭和45年)自主公演「第五回春秋会」(歌舞伎座)にて、一回だけ上演された作品。
振付 六世 宗家、作曲 十四世 杵屋六左衛門、作調 十一世 田中傳左衛門
2011年(平成23年)二代目 市川亀治郎(現・四代目 市川猿之助)が自主公演「第9回亀治郎の会」(国立劇場大劇場)で復活上演。2014年(平成26年)本公演「新春浅草歌舞伎」(浅草公会堂)でお披露目。
和泉流の狂言、博奕十王を歌舞伎舞踊劇に仕立てたもの。狂言には閻魔大王を亡者が煙に巻くという話がいろいろあるようで、調べてみますと、中村吉右衛門さんの「閻魔と政頼」などもありました。
拝見したお稽古の日は、監修されている市川猿之助さんがいらして、博奕打の人を食ったような風情をもっといやらしく表現するように、客席目線での説得力や分かりやすさについてご指導されていました。
博奕十王とインパクトのある題名に、どんなお話なのかとお稽古の前からワクワクしていました。六道の辻での博奕打と閻魔大王、獄卒たちとのやりとりなどコミカルでテンポの良い展開、地獄に来た経緯の踊り、博奕の面白さを閻魔大王に教える踊りなど、次から次へと楽しい踊りが続きました。
本番では地方さんや後見さんみなさんが、額に「シの字」(三角形の白い布)が巻かれているなど、楽しい仕掛けがちりばめられていました。自主公演は出演されている役者さんを観にいらっしゃっているお客様ばかりですから、みなさん家族のようなアットホームな雰囲気で客席の熱量と舞台の熱量とが相乗効果となって舞台が完成するのだと感じました。
ご宗家から、公演後の移動中に、蔦之助さんが私と同世代であることをお聞きしました。
蔦之助さんは、流派の名執であり藤間恵弥というお名前をお持ちです。
もちろん立場やお仕事、環境は違いますが、自主公演と言う夢を目標に変えそして実現させたパワーを間近で拝見したことは、様々なことを考えるきっかけとなりました。
今回は市川會と第二回蔦の会のお仕事に同行させて頂きましたが、その他にも他の自主公演のお稽古や打ち合わせなど、たくさんのお仕事を拝見しました。ご宗家曰く、全然忙しいうちに入らないとのことでしたが、移動中に何度も呼び止められその場で打ち合わせされたり、お電話での打ち合わせもあり、休む時間なく次から次へと対応されていました。
毎日たくさんの方と関わり、様々な舞台を作り上げていくことを改めて知る機会となりました。ご宗家が何気なくお話されることの多くが、私にとってお勉強になり心に残るものでした。そしてお付きとして過ごさせて頂いた期間に、ご宗家の「踊る」「教える」「創る」を間近で拝見できたこと、本当に感謝いたします。
ありがとうございました。
次回は、音の会、稚魚の会についてのレポートを掲載する予定です。お楽しみに!